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ナショナルパークやフォレストの中をいろいろ見て行く中で、一番印象に残ったのはアメリカ人の自然を楽しむ技術の高さでした。それはただキャンプしたり登山したりといったことではなく、自然と人間の関係をうまく自分たちで管理した中で自然を楽しむ技術を発達させているとでも言うのでしょうか。自然破壊というのは開拓、文明と同義語だと思います。文明を持った現代の人間の存在そのものが自然や環境破壊なのだから、我々に出来ることは自然をいかに壊さないように暮らしていくか?ということだと思います。 そのためにアメリカで生まれたのはナショナルパークとフォレスト、というシステムだと思います。そしてもっと驚くことは最初にイエローストーン国立公園が制定されたのが1872年。ヨセミテにダム建設の計画が出来てそれに自然保護団体シエラクラブが反対運動を起こしたのが1892年。自然や環境を保護する意識に既に100年以上の歴史があるのです。逆にそれだけの時間がかかるということだと思います。1世代交代するのに人間の場合30年とすると100年で3世代とちょっと。僕らの孫の子供の世代になってようやく今のアメリカに追いつく計算です。 アメリカの歴史が開拓とともにあったとすればそれは自然破壊の歴史でもあったわけで、保護の意識が芽生えるのが早かったのかもしれません。自分の住む場所や、畑を作るために地面をスコップで平らにしたり、鋸で木を切ったりする事は開拓かもしれないけど、やがてそれが機械化され、街や高速道路を作り出す頃にはいつのまにか環境破壊と呼ばれるようになっています。その境界はどこにあるのか?そんなもの無いのか?。 鎖国していた日本にペリーが来航して文明開化があってから、僕らの国は急速にその境界線を越えてしまったような気がします。逆にずっと鎖国していてもいつかはゆっくりその境界をこえていったでしょう。そう考えると人類の向かっている方向が少し見えてきたような気がします。そして僕たちに出来ることは、その境界線に現実を戻すことや、それに気がついていない国の人たちに教えてあげることではないでしょうか。そして。 そのことに一番最初に気がついた国が、一生懸命、月や火星にロケットを飛ばしてるのはじゃーどういうことなのかなー。怖い怖い。
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